私たちは今、何をすべきか?有事法制と国家の危い関係
世界の平和と子どもの教育を考える大田実行委員会
有事法制関連3法案上程についてNO!有事立法23区ネット 代表 伊藤 瀧子
この法案(武力攻撃事態法案・安全保障会議設置法改正案・自衛隊法改正案)は、2002年4月16日、閣議決定された後、国会上程・審議・成立を目指すという流れになっています。しかし、「有事」を判断する「武力攻撃事態法」が非常に曖昧かつ、場当たり的な内容であること、国民の保護や権利に対する項目が明らかにされず、有事法制が成立してから2年以内に整備するとされていて, まことに問題の多い法案です。しかも有事に関わるすべての権限が総理大臣に集中し、地方自治体すら、地方自治法に定められた本来の権限を失ってしまうという、まことに矛盾だらけの法案でもあるのす。
では、なぜ今、このような法案が国会に上程され、成立させられようとしているのでしょうか。ここで有事法制上程にいたる政治の流れを見てみましょう。
有事法制上程への経緯
この法案の大本になっているのは、1963年に行われた自衛隊制服組による「三矢作戦研究」です。正式には「昭和38年度統合防衛図上研究」というものですが、これを簡単に説明すると、第二次朝鮮戦争が起こったと仮定し、アメリカが朝鮮半島で行う武力介入に、日本が協力するという前提で極秘シミュレーションを行い、具体性を持たせたものです。
また、1966年に防衛庁内局が中心になって進めてきた「法制上、今後整備すべき事項について」という研究もその土台になっています。
1978年、自衛隊統合幕僚会議議長が、「自衛隊法には不備な面が多いため、いざという時、自衛隊が超法規的な行動に出ることはありうる」と発言したことが「文民統制に反する」と問題視され、解任されます。解任したのは当時の防衛庁長官だった金丸信さんです。しかし、その2日後には、福田赳夫首相が防衛庁に、「有事立法」の研究を命じるという経緯を辿ります。福田赳夫元首相は、現小泉政権官房長官の福田康夫氏の父親であり、福田官房長官が「有事立法」の成立に執念を燃やすのは、父親の意志を受け継いでいるからだといわれています。
それから3年後の1981年4月、防衛庁は「有事法制」研究の第1次中間報告(第一分類・防衛庁所管法令)を出します。この法令は、有事に対して自衛隊が円滑に行動できることに主眼を置いた、いわゆる自衛隊法103条を中心とする検討内容でまとめられています。例えば、民間業者への物資の保管命令や私権の制限等で、現在審議中の中味と殆ど変わらないとのことです。
さらに3年後の1984年11月には、第2次中間報告(第二分類・他省庁関係法令の研究)を出します。
有事法制研究お蔵入り
こうした研究は、1990年代まで続きますが、91年のソ連邦崩壊とともに,「北方脅威論」も立ち消え、日本有事を想定した「有事法制研究」も、実質的なお蔵入り。いわゆる棚上げ状態になるわけです。
有事法制上程への地ならし
そして2002年4月、長年の懸案事項だった有事法制がいよいよ日の目を見ることになるわけです。有事法制は一般的にニューヨークの同時多発テロが直接的な引き金になっているように思われがちですが、決してそうではありません。有事法制成立を目指し、こういう流れを作るために、政府・与党はさまざまな下地を整えてきました。国旗・国歌法の制定然り、通信傍受法の成立然り、国民総背番号制の実施に向けた取り組み然りです。その傍らで、教育の分野に切り込んできます。昨年の教科書問題がそれです。現在使われている教科書は「自虐史観」に満ち満ちているとし、93年から研究を続け、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらと共同戦線を張り、自国賛美に貫かれた歴史教科書の採択に協力姿勢を見せました。
いよいよ日本の軍国化推進 日本帝国主義復活を目指し
こうした背景下で、「有事法案」および、「個人情報保護法案」絡みの「メディア規制法案」等が上程され、日本帝国主義復活に向けた法の整備は着々と進められることになるのです。教科書問題を「自国に誇りを持って何が悪い」とする人や、有事法制を「備えあれば憂いなし」「日本も軍備が必要」と賛成する人たちは、日本の軍国化を恐れるアジア諸国の人々の反応に対して、内政干渉と反論します。
現在適応中の「テロ特措法」の範疇ですら、こんな事が起きています。今年の4月10日、自衛隊制服組みの幕僚監部が横須賀基地でアメリカ海軍の司令官に会い、インド洋での軍事支援に、日本のイージス艦を派遣してほしいと、アメリカ側から日本政府に持ちかけてくれないかと、裏工作をしたとのスクープ記事が『朝日新聞』に掲載されました。軍隊が政治に介入することを「シビリアンコントロールの破壊」といって、憲法では禁じられています。軍隊が政治を操るようになると、国家は正常に機能しなくなるからです。私たちが体験した世界第二次大戦がまさにそういう状況だったと聞かされました。
このイージス艦問題は5月7日、「有事法制特別委員会」で、民主党の岡田克也議員から「シビリアンコントロールの破壊」ではないかと追求されましたが、小泉総理も中谷防衛庁長官も「事実ではない」と反論、特に中谷長官は「朝日に抗議の申し入れをしている」ときっぱり否定しました。詳細は省きますが、私たちは有事法制反対の一環として、朝日より「報道は事実である」との証明をとり、現在防衛庁に事実の確認交渉を続けています。結果、反論を覆す幾つかの事実が明らかになりました。
国の方針を鵜呑みにしないで
日本人は国のやることには服従するという、従順さを尊重する民族です。しかしその服従心が盲目的になってはいけません。憲法9条は何のために定められたのか。民主主義の根幹を支える国民主権とは何なのか。日本がアジアの脅威にならないために、私たちはどうすればよいのかなど、今こそ真剣に考える時です。
国民は守られるべき対象なのか、
ではもう少し踏み込んで考えてみましょう。政府が後から整備するという部分が国民にとって、果たして納得のできるものになるのでしょうか。本来、憲法で保障されている普遍的人権がすべて網羅されているのでしょうか。決してそうではありません。うがった見方をすれば、法案に盛り込みたい内容は国民の反発を買いそうなので、今は出せない。成立後なら、ごり押しでもやれる。今の政治状況を見ていると、そんな見方さえ的外れではないと思えるのです。
もう一つ、非常に分かりやすい事例があります。防衛庁のリスト問題です。これは情報開示を求めた国民のプライバシーを必要以上に詮索し、人権を侵害する調査の下、組織ぐるみでリスト化していたという、極めて悪質なやりかたです。これはあくまでも国民を監視の対象とし、敵視しているということになります。有事法制が成立すれば国に刃向かう要注意人物としてブラックリスト化し、監視の目を怠らないのではないかと思います。つまり国民は守られるべき存在ではなく、監視の対象であるということが立証されたわけです。
結び
最後に申上げます。政府と防衛庁絡みで、こんな驚くべき情報があります。4月16日、有事法制が臨時閣議で決定された後、政府は法案を国会にも図らず、防衛庁からアメリカペンタゴンに向けて発信し、「日本はこういう法律を作った」と報告したそうです。いまの内閣は防衛庁のリスト問題で報告書の改ざんを行い、国会軽視だと批判されていますが、この問題もそれ以上に国会軽視だといわざるを得ません。さらに国民軽視も甚だしく、民主国家のやるべきことではありません。こういう今の日本の政治の在り方を考える時、私たちは国の方向性を決める重要法案を政治家だけに白紙委任するのではなく、アジアの一員として、冷静に判断し、意見を述べていく体制作りを進めなければならないと思います。
今、早急にやらなければならないことは、有事法制を廃案に追い込むことです。皆さん、力を合わせて頑張りましょう。アジア諸国との緊張関係を生じ、日本に有事を呼び込むこの法案を廃案に追い込むため、みんなで結束しましょう。
2002年6月30日
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