地域の運動を振り返って


世界の平和と子どもの教育を考える大田実行委員会
NO! 有事立法23区ネット 代表 伊藤 瀧子

世界の平和と子どもの教育を考える大田実行委員会&NO!有事立法23区ネットは6月5日、大田区議会事務局に別紙のような陳情書を提出した。この日は陳情受け付けの最終日。時間的タイムリミットの午後5時に受け付け窓口へ。なぜこんな時間を狙ったのかというと、他意はない。ただ単に、陳情書の準備が整うのが、この時間になっただけの話である。

実はその背景には、こんな経緯がある。今回の有事法制関連3法案に対しては、陳情を行っても絶対成果には結び付かないとの読みがあった。3月20日に大田区長と45分あまり面談した際の感触から、そう判断した。
面談の主たる目的は「国旗・国歌」法に関する区長の認識・見解をさりげなく聞き出すためだったが、前段で「戦争論・平和論」を闘わせることになり、さらに有事法制是非論にも話は及んだ。西野区長は小泉首相の持論と同様、「備えあれば憂いなし」の提唱者。有事に備えるのは国の責務であり、自治体の義務でもあると力説する。有事法不要論を唱える私とは意見が真っ向から対立した。結局、話の落し所として、ジェンダーの違いを持ち出し、一件落着したが、この区長の主張がある限り、陳情は勝ち目なしと判断するしかなかったのだ。

同時にもう一つの理由がある。話は3月議会にさかのぼる。この議会に提出した“大田区議会から日本政府へ 「テロ根絶・アフガニスタンへの軍事行動及び、自衛隊の戦争加担」即時中止を求める意見書提出依頼に関する陳情”に対して、本会議当日、意見書採択・陳情採択という、成果は収めたものの、決してすんなりいったわけではない。与党側に位置する政党が採択に異を唱え、「国政与党の自民党諸兄が、何ゆえこの陳情を採択するのだ。理解に苦しむ」と、一刀両断した経緯がある。自民党内でも異論が出ていたことは確かだ。そういう議会をどう動かすのか。頭を悩ました挙句、超党派の議員提案による意見書提出を念頭に、順次各会派の意向を打診し始めた。

しかし程なくして暗礁に乗り上げる。自民党を補佐する公明党に、有事法制反対の意思が全くない。ただこの法案が完全だという訳ではないが、いずれにしても、党の方針(国会議員)に任せるとの返事。
自民党に至っては全くその気がない。97年の子ども買春禁止法成立を求める陳情のことを持ち出し、「大人が子どもを買うようなことに反対するのは誰でも共感できる。そういう内容だったら協力できるが、有事法に反対するわけにはいかない。備えは必要、あなたは敵が攻めてきたとき、何の防備もせずに真っ裸で立ちはだかることができるのか、法の整備がきちんと出来ていないから、浅間山荘事件の時のような不手際が生じる」等々、複数の先生方が私一人を相手にとうとうと意見を述べる。正論で立ち向かっても、接点が見えてこない。とにかく、こんな調子である。

ではどうするか。思案投げ首で苦肉の策を考えついた。小泉総理の奨励する「議員と市民のタウンミーティング」を開催し、そこで議員提案を投げかけてみる。果たして成果に結び付くかどうか。勝算はないが、とにかくやるしかないという心境で企画を練り、実行に移すことにした。
しかし、考えてみれば相当の冒険である。参加依頼をしてみても、果たしてどの会派から誰が何人来るのか、あるいは全く参加してこない可能性だってありうる。陳情のチャンスを見送り、タウンミーティング一本に絞り込んでも大丈夫か。迷いが生じた。更なる検討を加えた末、不採択で元々と腹を決め、陳情書も提出、タウンミーティングも行うという欲張り作戦に転じることにした。6月3日の夜である。

早速、文書作成に取り掛かる。タウンミーティングの企画と同時進行なので、2本の文書が必要である。時計の針に追い立てられるような気持ちで、パソコンのキーボードを叩いた。出来上がったタウンミーティングの案内文は早急に議員各位に渡るように手配した。
陳情書には法案成立に反対する理由及び、絶対に必要な法律ならば、国民的議論を前提にした法案の練り直しを求める意見書の提出を区議会に要請する内容にした。更に添付資料は全国の県議会や市議会等で挙がっている意見書中、特に内容の優れたもの7点を選んだ。そんなこんなで、区議会事務局に駆け込んだのが冒頭の時間だったというわけである。

陳情結果は予想通り、不採択。しかし後日、面白い話を聞いた。3月議会で不採択に回った議員事務所を訪れた際のことである。幹事長が言うのには、「大田区からは3本の陳情が出ていた。みんな不採択。でも伊藤さんたちの陳情は不採択にするには惜しかった。他の2本とは違う。僕だって今の政府案が決していいとは思っていない。せめて継続審議にすべきだった。でも言えなかった。3月の採択で大田区議会は全国からすごい圧力を掛けられた。与党の癖に何やってんだ。右翼の車で押しかけるぞ」って。
そういえば自民党の幹事長らに会った時にもこんな話がでた。「採択制度が変わった。趣旨採択は今後やらない。採択か、不採択か、どっちかだね。継続審議?うーん・・・」
画期的と全国的に評された大田区議会の3月議会採択はかなりの後遺症を残していた。こういう状況をどう変えていけるのか。私たちに課せられた課題は重い。
         2002年7月15日 

                              

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