アマチュア衛星 オスカーの歩んだ道

夜明け前編 アマチュア無線家が手弁当で作った、小さな衛星

 アマチュア無線家は無線通信が海外との花形通信手段だったころから、幾つかの大々的な

大発見をしてきた。

 その最たるものは、「波長200m以上の高い周波数は、海外交信に適さない。」といったそれ

までの思い込みを覆したことが挙げられる。アマチュア無線家はそれまで不可能とされていた、小電力

で短波帯を使い、大西洋を渡るような通信を日常的にはじめてしまった。プロの通信会社や

放送局は当然のことながら、短波帯に雪崩を打って「上がってきた」。

 そしてもう一つ。アマチュア無線家は宇宙開発のごく初期から、衛星通信の前線にいた。

1957年、時のソ連が初めて打上げた人工衛星「スプートニク1号」。

 アマチュア無線家はビーコンと呼ばれる「ピッピッピッ」という20MHzの電波に聞き耳を立てた。

某国の国営放送はアマチュア無線家にお願いして、スプートニクのビーコンを受信してもらい放送に

のせたという。

 そこでアマチュア無線家達は「我々も自分たちで衛星を作ろう。」と話し合った。

 人類初の衛星を聞き、「よし、おれたちも!」と言い出すところが、電波の開拓者にふさわしい

セリフではないか?

 早速気の早いの?が集まった。アメリカはカリフォルニア州の宇宙エンジニア達が、1960年

に「Project OSCAR Association」を結成した。彼らは、アマチュア無線の周波数帯(アマ

チュアバンドという)を使った衛星を設計・製作し相乗り衛星として打上げてもらうことを

企図した。

 自分たちの仕事を終えた夜、週末と寸暇を見つけてはガレージの隅、地下室で、寄付金や

アメリカのアマチュア無線中継連盟(ARRL)からおりた少ない補助金で衛星を作った。

写真1 オスカー1号(人物の抱えている縞の物体)

 これが初めて打上げられたアマチュア無線衛星「オスカー1号」。1961年12月12日、

あのスプートニク1号からわずか4年、アマチュア無線家は人工衛星を持つに至った。

重量4.5kg、本体大きさ約30×25×20cm。形からも見て取れるように、ディスカバラー36号

を打上げるロケット「ソー・アジェナB」の機体表面の一部に埋め込まれ、カリフォルニア州・

バンデンバーグ空軍基地から発射された。

 電源は電池なので144.98MHz、100mWのビーコンを発射しっぱなしにした。

 モールス符号で「HI HI 」を発信しながら3週間の間動作した。モールス符号のビーコンは

衛星内部の温度が高くなると符号のスピードが上がるようになっていた。

 動作した3週間の間、六大陸28カ国/地域(南極含む)から600局・5000を越える

受信報告が上がってきた。

 その頃、アメリカは「月に人類を送る」ために湯水のごとくお金を使いまくっていた。それに対し

オスカー1号はアマチュアがポケットマネーをやりくりして作り上げた、「税金を使わない」

衛星として称賛された。